2006年07月29日

住職

【氏名】
佐藤龍遵(さとうりゅうじゅん) 

【生年月日】
1944年7月30日 62歳

【経歴】
1987年 権僧正に承認される
1978年 日蓮宗聲明師となる
1970年 日蓮宗大荒行成満 祈祷師となる
1968年 日蓮宗九識霊断師となる
     日蓮宗布教師となる
1966年 正応院住職に承認される
1964年 日蓮宗身延山にて信行道場終了
1961年 当山開山正応院日龍に就き、出家得度
     龍遵と改名
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副住職

【氏名】
佐藤龍宣(さとうりゅうせん) 

【生年月日】
1975年8月9日 30歳

【経歴】
2004年 日蓮宗九識霊断師となる
2003年 権大講師に承認される
2002年 日蓮宗大荒行成満 祈祷師となる
2001年 日蓮宗身延山にて信行道場終了
     身延山僧道実習生終了
1987年 当山三世正慈院日曠に就き、出家得度
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カウンセラー

【氏名】
佐藤能臣(さとうだいしん) 

【生年月日】
1974年6月25日 32歳

【経歴】
現在   Johann Wolfgang Geothe-University
     Frankfurt Institute for Advanced Studies研究員
     2005/2006年DAAD奨励奨学生
     2006年度日蓮宗宗務院認定海外留学生
2005年 東京工業大学大学院修士課程卒業 博士(理学)取得
2003年 日蓮宗身延山にて信行道場終了
2001年 東京工業大学大学院修士課程卒業 修士(理学)取得
1998年 埼玉大学理学部物理学科卒業 学士(理学)取得
1987年 当山三世正慈院日曠に就き、出家得度

【資格】
2003年 (社)日本産業カウンセラー協会認定産業カウンセラー
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2006年07月25日

要旨

明治年間、岡部には日蓮宗寺院がなく、庚申堂のみがあった。
ここで妙法勇進結社が細々と法華(日蓮宗)の法灯をともしていた。


庚申塚には宝暦11年(1761)と記されて、駿遠6庚申の1つに数えられる。
当時は、岡部の庚申堂として近在の信仰を集めていた。


大正年間、開基政薩院日勇(大正15年7月1日寂=1926)が一念発起し、曹洞宗から日蓮宗に宗旨を変え、在家の身でありながら法華の見珠道場を開設。信者を集めて21日間の修行を行なっていた。
大正13年、身延81世日布について出家得度し、私財を投げ打って堂宇を現地に建立し、勇進結社を合併した。


昭和15年、開山正応院日龍(昭和41年11月24日寂=1966)が伊豆韮山の本立寺の塔頭で、永正3年(1506)に江川英盛が建立した正応院を岡部に移転。
山号を見珠山として、寺号をそのまま継承。
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2006年07月22日

歴史




長兄政十が強烈な日蓮宗の信者P1010134.JPGになり、私達夫婦も薦められて入信したことは最初の処で述べた通りである。

長兄政十の入信の時期は大正7年ごろであるが、その後、長兄は法華三昧の修行を積み、ついに当時静岡市在の日蓮宗本覚寺の貫主杉田日布大僧正から得度を受け、僧名を「政薩院日勇法師」と称し僧籍の人となった。

しかるに寺もなく、建立の土地もないので、私が先人達となり信者をくどき、私も応分に寄進をして来たのが現在正応院のある所である。はじめは教会所であったが、それから数年の後、たしかに大正15年の春だった。長兄は狂信に近い荒行がもとで不幸病没したのであった。まだ若い51歳の時である。政薩院日勇聖人となった長兄の葬儀は、杉田日布大僧正が導師で執行されたが、帰信者200余名が参列して、岡部の町にはめずらしいほど盛大にとり行なわれたのである。

長兄入滅後の教会所は日勇聖人の未亡人が京都の村雲尼公の下で2ヶ月にわたり修業をして僧籍を得て帰郷し、熱心な信者を集め法灯を受け継いでいた。

開山した政薩院日勇も寺院の建立を念願としながら不帰の人となったが、私は長兄の寺院建立の一念の思いを、長兄の遺児のひとりである敏郎に得度をすすめ、日龍と号し開山2世とした。日龍は厳父の遺志を体し法灯をひろめ弘法に精進したが、去る昭和41年6月入寂した。

よって3世として、昭和43年立正大学を出て間のない、佐藤龍遵が法灯を継ぐこととなったのである。

まだ若い龍遵は2世日龍の寺院建立の遺志をついで、私の協力と檀家の寄進により、本堂を建立し、寺院を得たのである。その寺号が「正応院」である。

正応院は伊豆韮山の大成山本立寺の末寺であるが、私の妹八代の嫁入り先である藤枝市の大慶寺の大場玄勇師のはからいで、譲り受けたものである。本立寺は幕末の経世家江川英盛の別当寺として建立になった由緒正しい寺院であり、開山は円明院日證上人である。

正応院は「見珠山正応院」と唱えているが、「見珠山」は開山した政薩師がつけた名称であり、見珠とは無上宝珠を見るとか、珠(仏性)見(さとる)とも解するようである。

見珠山正応院の額は、身延山久遠寺法主藤井日静猊下の書かれたものである。


『私の経歴を語る』(佐藤嘉平 著述)より掲載
posted by 正応院 at 14:44| 静岡 ?J| Comment(0) | TrackBack(0) | 沿革 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする